木曽駒ヶ岳(2,956.3m) 聖職の碑を訪ねて


木曽駒ヶ岳(2,956.3m)
桂小場~将棊頭山~木曽駒ヶ岳~宝剣岳~千畳敷
山行部主催:木曽駒ヶ岳夏山テント泊&集中登山 コース6『聖職の碑を訪ねて』
自主山行

日 時 平成29年7月15日(土)~16日(日)
メンバー CLコッシー、SLぐっさん、山師匠、アパッチ、ゆかりん、まーちゃん、あゆ
コース
<7/15>6:00菅の台BS~7:15桂小場登山口~9:00馬返し~10:00大樽避難小屋~12:30行者岩との分岐~13:30ビバーク地(将棊頭山直下)
<7/16>4:00起床~5:30ビバーク地出発~5:40将棊頭山~6:00遭難記念碑~6:40濃ヶ池~7:50駒飼ノ池~8:30乗越浄土~8:45宝剣岳~9:20乗越浄土~10:15千畳敷駅・ロープーウェイにて菅の台BSへ

 

台風による11名の遭難死亡事故。その犠牲者を悼む碑には、「記念」と彫られている。なぜ稜線上に建つ碑が、遭難碑でも慰霊碑でもなくて記念碑なのか?100年前に中学生10人と校長先生が亡くなった「聖職の碑」の舞台を、記念碑に込められた当時のメッセージを胸に刻み付け、7人で歩くことになった。
今回は、同志会の木曽駒ケ岳集中登山のルート6として設定。僕が決めた参加条件は一つだけだ。
*新田次郎の名著「聖職の碑」を読むか、DVDを見てくること。
今回、久しぶりに小説を読み直した人もいれば、初めて読む人もいたが、まーちゃんが持っていたDVDを全員が見て、満を持して山行に臨むことになった。特にぐっさんは、小説を読み直した上に、ここ数カ月の山行の車の中で聖職の碑のDVDを流し続けたため、5~6回は集中的に見るはめになった。
当初計画では、初日に桂小場から将棊頭山、濃ヶ池、駒飼ノ池を通り、宝剣山荘から駒ケ岳に行き、頂上山荘テント場に集結。翌日は伊那前岳、うどんや峠を通って、北御所登山口に下りるルートであった。下山口が異なるため、2台ある車のうち、1台は菅の台BSに止め、残り1台に7人が乗り込んで、登山口となる桂小場に向かった。

<7/15>
山師匠が寝坊したことで、ちょっとヒヤっとしたが、ほぼ予定通りの6:45に桂小場に到着。登山口には10台程度止められるスペースがある。看板もしっかり出ているので、迷うことはない。登山口の標高は1250m、目的地となる駒ケ岳は2950mだから、今日一日で一気に1700mも上がらなければならない。考えるだけで気が遠くなりそうだが、地図を見ると、最初からかなりの急登が続きそうで覚悟をするしかない。そもそも100年前の中学生達は、学校からスタートしており、この登山口に来るまでに既に相当歩いてきている。そのことを考えれば、甘えたことは言っていられない。
7:15登山口をスタート。有名な聖職の碑コースだけあって登山道はきちんと整備されている。看板も随所にあり分かりやすい。予想通りスタートからかなりの急登の連続だ。覚悟をしていたとは言え、蒸し暑さに虫との戦いも加わり、一気に高度を上げていく登山道に言葉が出ない。
歩き始めてすぐに「ぶどうの泉」という水場があった。まずは、そこで全員が息を整えるために泉の水を口に含む。冷たくて美味い。そこからも樹林帯をとにかく黙々と歩く。道は分かりやすいので、先頭を交代しながら進むが、DVDにあったように「六根清浄(ろっこんしょうじょう)、お山は晴天!」などと元気に声を出して歩く余裕がないのが残念。中学生はよくこんな道を歩いたもんだと感心する。
3時間近くかけて大樽避難小屋に到着。そこからも胸突八丁と言われる急場が待っている。ギアを上げたくても、なかなか上がらず、ほぼ無口のまま進む。高度の上げが急ピッチなこともあり、途中で何人かに高山病の症状が出始めた。足がつり始めた人もあり、水を飲んだり、荷物を移し替えたり、ゆっくり進んだり・・・休憩の回数を増やしながら進む。胸突八丁の登りも楽ではなく、全体に疲労感が漂い始め、あと何時間歩くのかな?と後ろ向きな考えが頭をよぎりだす。とにかく今日の目的地は駒ケ岳の頂上山荘だ。そこに同志会の50人近くが集結する。ただ、このまま将棊頭山まで登ったとしても、そのあと2時間半~3時間はかかる。いや、この休憩ペースで行くと4時間はかかるかもしれない?となると順調に行ってもテント場に着くのは日暮れ頃・・・・疲れもかなり溜まっているし・・・と考え出すと、これは無理だ。
休憩しながら地図を広げて水場を探すと、西駒山荘と濃ヶ池が目に入る。どちらも水は取れそう。ビバーグするならどちらかしかない。ただ、まだお昼になったばかりだし、このパーティーだけが頂上山荘に行かないのも格好が悪い。今からだって頑張れば、16時か17時には着くかもしれない、どうしようか?決めきれずに悩む。
そんな時、ぐっさんから、歩きながらビバーク適地を探そう!と決断を促す一声があった。他のメンバーに聞くと、疲労困憊のため同意の声ばかりで、先に進もうという意見はない。まだお昼なのに・・・と思いながらも、このまま全員が進み続けることは厳しそうだし、もし中途半端な場所でバテてしまったら、その方が水場もなくて大変だ。
将棊頭山への稜線に入ると、樹林帯とは違って、少し緩やかで広い砂地を歩く。良くみれば、4テンなり2テンなりが張れそうなビバーク適地が点在している。そのうち、将棊頭山手前直下の場所に、4テンと3テンを並べて張れる適地を発見してしまった。
今日はここで終了!緊急幕営!
その後は、みんなで地面に埋まった石を堀り、木の根を整えながら整地。体力のあるメンバーは西駒山荘まで水を汲みに行くことにした。
食事は、生卵付きの豪華なすき焼き。お酒もつまみもたくさんあり、テント外で楽しい食事にありついた。ただ、虫が多く、女性は虫よけフードをかぶりながらの食事であり、虫対策には苦労した。食事をした後も、時間はたっぷりあり、外はまだまだ明るいことから、懸垂下降の仮固定の練習などロープワークも行った。さっきまでの疲労感はすっかりなくなり、みんなリラックスモード。そして何よりテント場からの景色はとても良く、西駒山荘、宝剣岳はもとより、遠くは御嶽山、槍ヶ岳、富士山まで見える。夕方の雲海もとてもきれい。夏山の美しさを堪能しながら、早めに就寝した。

 

<7/16>
4時に起床。前日に作ってもらった具沢山の豪華サンドイッチを食べ(これが本当に豪華だった)、テントも手際よく片付けて5時半に出発。天気も良好だ。
ただ、昨日の虫にあゆがやられてしまった。どうやら左目の瞼を刺されたようで、パンパンに腫れて目があかない。応急措置として、ガーゼとテープで眼帯を作り、片目で歩くことになった。
スタートしてすぐの将棊頭山ではみんなで記念撮影をし、いよいよ記念碑に向かう。6:00遭難記念碑に到着。古い記念碑と新しい記念碑が建っていた。大きな石にしっかりと記念碑の文字と名前が刻みこまれている。小説・DVDを見てきた僕らには、良く知った名前が刻みこまれている。
記念碑を前に、100年前の遭難シーン、記念碑建立を巡る大変さを思い浮かべながら、この場所に来られた喜びに浸った。
次のポイントは濃ヶ池だ。ここは、生徒が休憩していた場所でもあるし、暴風雨の中で清水先生と荻原三平が生き延びた場所でもある。広い濃ヶ池で休憩を取り、清水先生と三平が隠れた岩穴を探す。三平がロウソクの火で餅を炙って、清水先生に食べておくれと差し出す感動のシーンもあった。台風が止み、朝日に向かって、清水先生が俺たちは勝ったぞと叫ぶシーンもあった。いろんな岩を確認しながら、それっぽい岩穴を見つけることができ、みんなで記念撮影をした。
次のポイントは駒飼ノ池だ。但し、その間に、雪渓のトラバースが何か所かある。西駒山荘にも注意書きの掲示板が出ていた。予想通り、すぐに雪渓が現れた。しかしよく見れば、踏み跡がしっかりとついている。これなら慎重に進めば大丈夫そうだ。雪渓は、15m~30mと長さがばらばらだが、5~6ヶ所あった。結局アイゼンを着けることはなく、ポールを山側に付きながら進めば行けると判断して、無事にトラバースすることが出来た。
7:50駒飼ノ池に到着。駒飼ノ池を過ぎると、見上げた上部に宝剣山荘の建物が目に入る。片目のあゆも、遠近感が掴めない~と言っていたが、足を踏み外すことなく進み、全員無事に乗越浄土に到着した。

聖職の碑のメインコースである「将棊頭山、遭難記念碑、濃ヶ池、駒飼ノ池」を歴史を感じながら全員で踏破することが出来た。目的達成だ。
今回の山行では、初日すぐの急登に体力を奪われ、体調を崩すメンバーがいたが、早めに緊急幕営をし、体力を回復できたのが良かった。もう少し、もう少しと、疲れた身体で無理に進んでいたら、苦しい山行になったと思う。ひょっとしたら、ショートカットして別ルートを歩いていたかもしれないし、諦めて引き返していたかもしれない。僕一人なら、あの時間帯での緊急幕営は決断できなかったと思う。メンバーのアドバイスに助けられ、適切な判断が出来て勉強になった。
参加者全員が聖職の碑について事前に十分熟知し、聖職の碑のルートを、天候に恵まれて歩ききれたことは、本当に素晴らしい山行であった。

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